夏休み中の大学教員は暇なんでしょ。とよく言われるのだが、夏休み中に自分の研究をしないといつやるんですか。夏にいたるまでの日々は学生たちの講評書きで過ぎていくんですよ。あとやがてやってくる後期の授業準備も緩やかに進めないといけないわけです。などと言い返したいのをこらえて、にこやかに「大相撲も7月は名古屋で行われますからね」とテキトウに答えている。ちなみに今場所(9月場所)は琴ノ若を応援しているが、どうだろうか。
学生の皆さんは集中講義を受講していない限り、8月上旬から9月末までが夏期休暇期間のはずなので、夏は自分自身の時間を生きていると思う。長編小説を書いていたり、短編を複数書いてみたり、イラストやゲーム、マンガなど多様な表現方法を模索しているかもしれない。しかし、何かに没頭し続けているとそこから日常生活に戻ってくるのが億劫になってしまう。私も今年の春休みに論文を書いていたら、4月からの講義が始まった際、急に発声をしようとすると大いに困った記憶がある。声を出していない期間が長いのと脳で考えていた文章が口語向けではないので、齟齬が発生してしまうのだろう。
9月末に後期授業がスタートし大学生活が再開した際、うまく乗り切れないまま過ごすと、だんだんと授業に出席しなくなり、課題を提出せず年度末の成績が悲惨なことになってしまう。なんとかしないといけない。誰かに言われる前に何とかしよう。その一歩を踏み出すにはどうしたらいいのだろうか。
別に休まずに大学に来ようぜと言いたいわけではない(いや、教員としては言うんだけど)。中田永一さんの「少年ジャンパー」(『私は存在が空気』祥伝社、2015年、文庫版は2018年)は「作品読解」の授業で取り上げたことがある。この単行本は超能力を持っている(もしくは持ってしまった)人たちを描いた短編集で、そのなかに収録されている「少年ジャンパー」の主人公は一度行ったことのある場所に瞬時にワープできる「ジャンプ」能力を身につけている。この短編が秀逸なのは、容姿に自信が持てず、学校の教室内に溶け込むことができず、自宅に引きこもってしまった高校生の主人公が、突如として得てしまった超能力を自らの境遇の改善に使うのではなく、学校外で他者のために使うことで新しい体験をし、自らのアイデンティティを構築していく点である。
こう書いていくと教室内の関係性とかくだらないよね、という平々凡々な結論に行きつきそうだが、そうではない。もしくは自分をいじめたやつらへの仕返しをして、スカッとしようぜ、というわけでもない。物語の最後で教室に戻っていく主人公を見ると、関係性は無数にあり、人間の立ち位置は多様なものだと自覚させられる。
自らの境遇を変えるには、思い切って踏み込む必要があるかもしれない。なんせ我々には超能力がない。持ってるよという人がいるかもしれないが、少なくともお友達にはなりたくないので視界には入っていない。
畑野智美さんの「肉食うさぎ」(『海の見える街』講談社文庫、2015年)は恋愛を描いた短編である。「作品読解」や私のやっているゼミでも取り上げたのだが、『海の見える街』という連作短編集のラストを飾る作品になる。個々人で反論はあろうが、恋愛を描く場合、多くは障害を乗り越えようと燃え上がるイメージがあって、身分差とか追放された令嬢(貴種流離譚ですね)とか様々なシチュエーションが存在するであろう。もちろんそうではなく、障害となる第三者が出てこない1対1ラブコメが流行している、という話を『文芸ラジオ 8号』の特集「待つ恋、読む愛。」で取り上げたのでフィクションの恋愛も多様性のなかに存在するわけだが、とはいえ身分差の恋を現代で描くのは少し大変かもしれない。
それは強固で明確な「身分」が顕在化していない社会に生きているせいなのだが、他者との差異が存在しないわけではない。生まれてからの家庭環境や生活環境、背景に存在している文化資本の違いは他者とのコミュニケーションのなかで自覚できてしまう。話が合わないし、価値観も違うかもしれない。それでも恋愛感情を抱いてしまった場合、無理だからと身を引くのか、それでも諦めないのか。踏み込めない葛藤とそこからの一歩を描いたのが「肉食うさぎ」になる。
なんでそこまで新しい一歩を踏み出させるんだ。もっとひと夏の冒険に浸っていたい。オレタチを放っておいてくれ。そのような人に向けて、今井哲也さんの『ぼくらのよあけ』(全2巻、講談社、2011年)を取り上げよう。この作品はゼミで何度も取り上げたし、実際に作者の今井哲也さんにゼミに来ていただき話をしてもらった。その様子は文芸学科が制作した『文芸ラジオ 5号』に収録しているので、ぜひ読んで欲しい。今井さんが具体的な作品を挙げながら、創作について語ってくれており、漫画家志望にとって参考になる内容となっている。
今は解体された阿佐ヶ谷住宅を舞台にしたこの作品は、ノスタルジーを付与させる団地というフィールド、小学生の主人公たちが冒険するジュブナイル要素、映像すら想起させる秀逸なコマ割りとカメラワーク、そして地球外の存在とコンタクトを取るSF要素のすべてが合わさって、オンリーワンのマンガに仕上がっている。本当に素晴らしい。何も言わずに読んでくれ。読んだら、今月(2022年9月)から始まる劇場アニメを見に行こう。
物語には必ず終わりがある。「行きて帰りし物語」を挙げるでもなく物語が終わるのは当たり前のことだが、その終わりをきちんと描くのは非常に難しいし、2巻の短さで得られる充実度合いが予想を上回るのも珍しい。そして物語には終わりはあれど、我々の日常生活は続いていくので、学生の皆さんはまた後期の授業で会うことにしよう。別に誰かと話す必要もないし、大学の授業内容から小説のネタを探すのもいいではないか。
(文?写真:玉井建也)
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第1回 はじまりはいつも不安
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玉井建也(たまい?たつや)
1979年生まれ。愛媛県出身。専門は歴史学?エンターテイメント文化研究。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。東京大学大学院情報学環特任研究員などを経て、現職。著作に『戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 : 1960年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に』(徳間記念アニメーション文化財団アニメーション文化活動奨励助成成果報告書)、『坪井家関連資料目録』(東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター)、『幼なじみ萌え』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局 藝術学舎)など。日本デジタルゲーム学会第4回若手奨励賞、日本風俗史学会第17回研究奨励賞受賞。
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