ここのところ、自然災害やコロナ渦など、我々の身の回りに予想もしていなかった危機が次々とやってくる。
歴史をひも解くと、人類は過去、大地震や津波、水害、噴火、感染症を何度も経験しているのに、100年足らずの人生のなかで遭遇することが稀なためか、「正常性バイアス」が働いて、自分の身に降りかかることはないと高を括る。安全、安心な社会を目指すのはいいが、個人の防災力――生き延びる知恵や力が減退してしまっては困ったことになる。
「旅」にトラブルはつきもの。これもちょっとした危機である。
私のようにずぼらな人間は乗り遅れ、乗り過ごしといった小さな失敗は日常茶飯事なのだが、勝手が違う海外旅行でのトラブルはできるだけ避けたい。時節柄、出国をためらったが、3月の初めにタイ東北部とラオスに行ってきた。
2月の下旬からバンコク、チェンマイを旅行していた学生たちと、コンケーンで合流し、調査で通っているタイ東北部の土器作り村や、塩作り、真鍮鋳造の村々を見て歩いた。ついでにカンボジア国境にあるカオ?プラ?ヴィハーン(プレア?ヴィヒア)とラオスのワット?プーという2つの世界遺産にも立ち寄った。連日最高気温が38℃~40℃の世界。確かに暑いが、汗腺が開く感覚が私には心地よい。
実はここ2年、出発日にトラブルが続いていた。
一昨年は当日朝にインフルエンザと診断され、泣く泣く出発を一週間延期。同行の学生は一人で行く羽目になり、ずいぶん不安な思いをさせてしまった。昨年は出発日の6日前にインフルエンザに感染。完治してさあ行こうとeチケットを見たら、航空券の予約日を一日間違えており(日付をまたぐ深夜便の場合に勘違いしがち)、気付いた時にはもう遅かった(泣)。国際線の場合、往路便をキャンセルすると帰国便も無効になると聞いて2重のショック。タイ国内線と合わせ急きょ高いチケットを取らざるを得なかった。インフルエンザには20年以上かかったことがなく、明らかに甘く見ていた。
今年は大したトラブルではなかったが、出発前にちょっと焦った。「3度目の正直」という言葉はあるが、「2度あることは3度ある」とも言う。出張続きで調査器材の準備ができず、直前まで大学で探し物をしていたら、18時04分発の山形新幹線に乗り遅れた。19時31分の新幹線では羽田24時20分発の1時間前の到着が際どく、カウンターが閉まりかねない。幸い18時47分発の仙山線があったので、仙台から東京に出て、空港に駆け付けた。1時間前に空港に入ったら、ロビー?カウンターともガラガラ。コロナ騒ぎで空港は閑散としており、あっという間にイミグレーションを通過した。
ただ今回、いつもは私に降りかかる不幸の神が学生に乗り移ってしまった。帰路、深夜バス(約10時間)でバンコクに戻る学生たちとウボン※ で別れ、私は一足先に帰国したのだが、山形に帰ってメールを見るとLCCの深夜便が突然キャンセルになって空港でもう一晩過ごすという。言葉も通じない初めての国で、さぞ心細かっただろう。
※ウボンラーチャターニーはタイ?東北部の県。ラオス、カンボジアとの国境を接している。
しかし、彼らはありあわせの装備を使い、ちゃんと危機を脱して翌日の便で帰ってきた。こんな学生は何とも頼もしい。学生時代の貧乏旅行はしたほうがいい。なけなしの金で人生の肥やしになる大切なものを買うことだ。持ち帰るのはその時の驚きや感動や発見のはずだ。(ラオス?パクセーの市場で学生が買ったタイ式の焼肉鍋。帰ったら焼肉パーティをする約束がまだ果たせていないのが心残り)。
赴任して以来、毎年夏休みには炎天下で1カ月余り発掘調査をしてきた。そこで学生たちに伝えてきたことは、小さなことをこつこつ積み上げる「続ける力」と最後の最後に踏ん張る「土壇場力」だった。修羅場を向かえてもあり合わせの道具と知恵を駆使して「何とかする」ことである。人類学者のレヴィ?ストロースは『野生の思考』のなかで、余り物の材料などを工夫して、当面の課題を解決する道具を作ったり、新しいものを生み出すことを「ブリ?コラージュ」と呼んだ。人類が古くから持っていた野生の知恵と能力である。日常的にやってくる大小の危機に対して、前向きに向き合える人(逃避も選択肢のひとつだが)、生き延びられるのはそんな力を持った人だろう。
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2020年3月当時、タイ東北部とラオスは感染者ゼロながら、日本よりも検温やアルコール消毒の対応が早いように感じた。SARSを経験しているかどうかが彼我の差なのかもしれない。そういえば2003年に両国を旅行した時はSARSが収まりを見せた直後だった。今は普通になった空港のサーモカメラがもの珍しかった。
2004年12月26日はチェンマイにいて地震にあった。朝の8時00分、改装工事中で壁がないホテルの10階廊下(廊下の先は空)にいて、揺れたのでびっくりした。津波等で死者?行方不明者30万人の被害を出したスマトラ島沖地震だった。翌朝成田に着いて2度びっくり。大勢の取材陣がカメラを持って押し寄せてきた。この飛行機が津波に襲われたプーケットからバンコクを経由して帰国する最初の乗客たちを乗せていたからである。「すみません、チェンマイからです」というとサーッと散っていった。
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タイ?ラオスでは雨季の河川の氾濫は日常なので、農村の伝統的な家屋?籾藏は高床である。 毎年、お正月に各地の土器作り村を訪ねると、今年はここまで水が来たと柱を指さし、道具も流されたよ、という話をよく聞く。洪水の規模には大小あるが、とりわけ2011年はひどかった。
チャオプラヤー川流域では12月になってようやく水が引き、町中に散水車が出てデッキブラシで清掃していた。中州にある焼き物の町コ?クレットではレンガ窯や機械がみな水没し、職人らは生活の糧を全て失った。農村では田んぼが水没し、お米が収穫できなかった。ところが、いくら微笑みの国とはいえ、住民に悲壮感がないのが意外だった。水害に慣れていると言ってしまえばそれまでだが、人知を越える自然の営為に対して、折り合いを付けながら暮らす生活スタイルや精神が育まれてきたからだろう。自然は恵みを与えてくれるが、時には牙をむく。「足るを知る」精神と災害に対するセーフティネットの存在が寛容さの源かと思った。
2カ月後に行ったラオスの土器作り村では22品種もの種もみを保有し、山裾に広がる自然灌漑の水田に、耕地の地味や水回り、収穫時期、直播か田植えか等により、それらを使い分けていた。多収穫米と農薬?化学肥料で一儲けしてやろうというより、自然の気まぐれにあっても全滅を避けるリスク分散の戦略が息づいている。水害でコメや家屋を失うこともあるが、血縁と集落共同体の中で助け合ってなんとか生き延びるのである。彼らは毎年、異常気象だ、災害だとあたかも自然が悪いにように騒ぐ私たちをどう思うのだろうか。
2018年7月のラオス南部の水力発電ダムの決壊事故(Wikipediaによると、被災2,657世帯、14,108人、死者42名)は記憶に新しい。前年のお正月に流域にあるターヒン?タイという小さな村を訪ねた。この事故で村は丸ごと洪水に飲み込まれた。当時、元ポター(土器製作者)のおばあちゃん家の前には小舟が置かれていた。不思議に思って聞くと、洪水の時に避難するためだという。あれから行けていないが、きっと避難して無事でいてくれるだろう。
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3月10日に帰国し、2週間は出張を自粛(自治体の会議はほとんど中止)。明けて月末に郡上八幡、熊本、小豆島へ行ったのが昨年度最後の出張となった。5月14日の非常事態宣言解除後、少しずつ、出歩きが可能となってきた。しかし、私のような人間が一番危ないことだけは肝に銘じておこう。(続く)
(文?写真:北野博司)
北野博司(きたの?ひろし)
富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
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専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存?活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。
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