「歌碑に導かれて[山形ビエンナーレ2024 私的随想録①]」 で書いたとおり、山形ビエンナーレ2024の蔵王温泉での構想は、この土地?環境と、その場での歌人?斎藤茂吉の数々の歌碑の存在によって具体化した。
ただ、私は蔵王温泉でいきなり斎藤茂吉の歌碑と出遭ったわけではない。それからさかのぼること数ヶ月前、芸術監督の稲葉俊郎先生のお仕事と言葉から、山形ビエンナーレは動き出した。今回は、そんな話。
ちょうど、次回のビエンナーレをどうするか、という構想をはじめていた2023年春。縁あってビエンナーレ全体の設計をすることになった私は、まず、稲葉先生の本を読むことからはじめた。稲葉先生は、2024年5月から慶應義塾大学大学院 システムデザイン?マネジメント研究科(SDM)特任教授をつとめていらっしゃり、当時は、軽井沢病院の院長をつとめていらっしゃった。
数々の著書がおありで、『いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—』(アノニマ?スタジオ、2017年)、『いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―』(アノニマ?スタジオ、2020年)、『いのちの居場所』(扶桑社、2022年)など、それらの本には、医師として医学を専門とされる立場から、しかしその専門性を超えて私たちがそれぞれで固有に持っている「いのち」の広がりを考えることこそ、今日において大切なのではないかというメッセージが貫かれている。
そして、私が稲葉先生の本を本格的に読みはじめた頃の新刊が、『ことばのくすり 感性を磨き、不安を和らげる33篇』 (大和書房、2023年)だった。
『ことばのくすり』は、こんな言葉からはじまる。
「ことば」は「くすり」です。
なぜなら、私たちは「ことば」に影響を受け、考え方や行動が変わることもあるからです。「ことば」は「くすり」にもなりますが、「くすり」は「リスク」であり、薬と毒と紙一重とも言われます。ポジティブな言葉を聞けばポジティブな気持ちになり、ネガティブな言葉を聞けばネガティブな気持ちになる。そうした単純な因果関係も「ことば」が持つ働きのひとつです。
稲葉俊郎「はじめに」『ことばのくすり』大和書房、2023年
その後、稲葉先生は、「ことば」が「毒」にもなってしまうこと(「ことば」の力の悪用)の危険性についても述べられながら、「ことば」が「くすり」になることへの希望をこめ、こう書く。
「ことば」は「くすり」にもなるのです。事実、ちょっとした文章により救われたり、生きる希望を持ったり、自分の偏った考えが更新されたりすることは、誰しも経験があるのではないでしょうか。
(中略)
私たちの「いのち」は「あたま」だけではなく、「からだ」全体にあまねく存在しています。もし「あたま」が誤作動を起こすと「からだ」を道連れにしてしまう悲劇さえ起きます。しかし、現代は「あたま」に偏った都市社会です。 (中略) 「あたま」に影響を与える「ことば」とは何かを丁寧に検証しながら、滋養と生命力のある「ことば」を摂取していく必要があるだろうと思っています。
稲葉俊郎「はじめに」『ことばのくすり』大和書房、2023年
「滋養と生命力のある「ことば」」というフレーズ! もうこの段階で、目に見えない「ことば」の数々が、自分の体内を駆け巡っているかのような想像を私はしてしまう。
ぜひ、本を手に取っていただき全体を読んでいただきたいと思うが、『ことばのくすり』は構成もユニークで、1日の流れのなかで「ことば」が私たちの行動にどのような影響をおよぼすかという視点から、「未明のことば」「朝の言葉」「昼のことば」「夜のことば」「休日のことば」というセクションにわかれている。
私は、稲葉先生の「はじめに」を読み、そして章構成からも刺激を受け、「これだ!」と思った。ビエンナーレは、ここから考えることができるのではないか。「ことば」や「時間」を手掛かりにしながら、稲葉先生が一貫して考えている「からだ」「こころ」「いのち」をテーマにしたビエンナーレをつくりあげることができるのではないか。私自身、以前勤めていた太田市美術館?図書館で、詩、歌、短歌などの「ことば」の表現をテーマにした展覧会をいくつか企画したことがあった。
美術は一般的に視覚表現であるから姿形をともなっていることが通常だが、「ことば」は文字やグラフィックによってビジュアルであらわすことができるものの、口で言う場合には姿形がない。空気の振動としての音の響きは目で見ることができない。したがって、文字やグラフィックの違い、書き方の違い、音の違い、声の違い、言い方の違い、そんないくつもの違いによって、同じ「ことば」でも別の姿形を見せる(聞かせる)。それが面白い、ということを今回改めて考えている。
しばらくして稲葉先生へ、『ことばのくすり』に基づいたビエンナーレのアイデアをお話しすると、「ことば」を空間に配置しながら、来場する方々の固定観念をほぐしていくことができるのではないか。展示構成に時間軸を取り入れることで、「眠り」へとフォーカスし、「眠り」を創造性の源として考えることができるのではないか。「からだ」「こころ」「いのち」の次なる段階として、人間が死して残るもの=「たましい」(人間の霊性)というものを考えることで、芸術を見る際の目が広く、深くなるのではないか…などなど、山形ビエンナーレ2024のコンセプトにとどまらない、芸術全般への思考へと話が広がっていった。
こうして、詩、歌、短歌などの「ことば」の表現も数々展開する山形ビエンナーレ2024は、稲葉先生の「ことば」を源泉にはじまったのである。そこから、蔵王の方々へと、私(たち)は歩いていく。
(文?写真:小金沢智)
関連ページ:
山形ビエンナーレ2024
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東北藝術道のはじまり|連載?小金沢智の、東北藝術道 #01
東山魁夷の《道》を訪ねて|連載?小金沢智の、東北藝術道 #02
歌碑に導かれて[山形ビエンナーレ2024 私的随想録①]|連載?小金沢智の、東北藝術道 #03
季節は待っている[山形ビエンナーレ2024 私的随想録②]|連載?小金沢智の、東北藝術道 #04
小金沢 智(こがねざわ?さとし)
東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。
キュレーター。1982年、群馬県生まれ。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。専門は日本近現代美術史、キュレーション。世田谷美術館(2010-2015)、太田市美術館?図書館(2015-2020)の学芸員を経て現職。
「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。
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