川瀬理子|東日本における縄文時代のサメ歯利用について
埼玉県出身
青野友哉ゼミ
縄文時代においてサメ歯は、主に身を飾る道具として使われていた。それらは、全国的に出土がみられる一方で、東日本全体における集成と形態分類の検討がおこなわれず、実態の把握がなされていない。そこで、本研究では東日本におけるサメ歯製品?サメ歯模造品?遺跡出土の化石を含めた集成し、形態分類をおこなう。また、そこから見える地域差や遺跡間での交流をみていく。さらに、縄文時代のサメ歯利用について分析を踏まえて考察していく。
形態分類では、九州?南西諸島と東日本の差が表れた。特に、模造品の地域差が大きくみられ、東日本は擦り切り穿孔が存在しないことや、サメの生息域の問題からかイタチザメを祖型とするものが、南西に比べて少ない。しかし、茨城県周辺の沿岸部に縄文時代中期からイタチザメやメジロザメの模造品が集中して見られることから、南西からの影響が考えられる。また、製品では東日本では大型の二等辺三角形状のものに孔を4つまたは5つ穿つものが見られた、南西の分類にはない形態である。
分布からは、北海道から青森沿岸部、太平洋沿岸部に集中して見られ、内陸部は散発的である。しかし、内陸部の出土にサメ歯製品と南海産の貝などが確認でき、サメ歯が希少な海産物として搬入されたと考える。出土状況からは、北海道は主に墓壙出土のものが多く、本州は住居址出土が多くみられる。青森県では北海道の墓坑副葬の影響が見られないことから、分布境界が津軽海峡にあると指摘できる。また、北海道では副葬品として頭部装身の利用がみられ、本州ではみられないことから北海道と本州の地域差が明らかとなった。
利用については、動物の爪?牙を身に着けることでその動物の力を借りる(山田2008)ことができること、共伴例として石鏃が多くみられる事や狩猟社会であった縄文時代に利用が多く農耕社会となった弥生時代から利用が減少することから、狩猟と結びつきが強く、お守りのような役割であったと考える。装身具以外の利用法として、宮城県北小松遺跡ではサメ歯を木質部に装着したものが出土しており(図3)、ポリネシアでみられる棍棒の類例とされている。歯の痕跡や歯と木質部に赤彩が施されていることから。武器として扱うのではなく、祭祀道具や権威棒のような役割を持っていた可能性がある。